WEBメディアは雑誌はおろか雑貨にもなれない
「今や雑誌は情報ではなく雑貨」、はい。
今やというか昔からライフスタイル系の雑誌は雑貨としての側面を持っていた気はしますけどね。
そもそも世界観を所有したいっていう気持ちは雑誌に関わらずあるじゃないですか。
例えばレコードなんか「ジャケ買い」なんて文化があるくらい収録された音楽を聴くという本質からは外れた楽しみ方がされてるし、そのもの自体が持つトータルでの世界観を自分の生活の一部として所有したくなるんですよね。
特にこういう世界観の所有は「わかってる人たち」同士でのコミュニティがあったりしてアピールの手段にもなるわけじゃないですか。
あと、あれ、「バンドTシャツ」とか。
単にデザインがいいからきてるとかも全然あるとは思いますけど、その音楽を好きな「界隈」の人たちが自分の趣味嗜好と属性を示すために着てたりすることもあるわけですよね。
で、雑誌の雑貨化ってところに戻るんですけど、雑誌やっぱり文章が書いてあるじゃないですか。あれっていろんな編集者がページとか企画とか担当して1冊の雑誌を形成してるんですけど、見事に世界観は統一されてるんですよね。
その世界観はどうやって統一されてるっていうと、「文章」なんですよね。
特に「POPEYE」とかは顕著なんですけど、「POPEYE」っていう島の中ではみんながポパイ語を話していて、みんなちゃんとポパイっぽい、ポパイポパイしてるっていう。
もっというとポパイ読んでる奴もだんだんポパイ島の住人になってしまって、しまいには一人称が「僕」になって「スケボー片手に気になるあの子とピザ屋に行くシティボーイ」になるわけですよ。
だから、きっと文章は世界観を作り上げる要素としてはかなり大きな役割を果たしていると思うんですよね。生き方にも影響を与えるくらいには。
でも、インターネットを雑誌にしたものが雑貨になりうるかというとそんなでもない気がするんですよね。
だってインターネットの文章ってスカスカだし統一感もないし、そもそも世界観が考えられてないじゃないですか。そりゃあね、雑誌よりも不特定多数の多くの人にリーチできる特性ゆえにターゲティングを絞りきれないっていうのはあると思います。
だからこそ、WEBメディアにはWEBメディアなりのコンテンツ作成法があるわけなんですけど。特に、MERYみたいなキュレーションメディアは世界観の統一が難しいと思うんですよね。
だって、所詮は素人(とかセミプロ)がSEOのセオリー守って、PVを意識したグーグルに刺さる文章であって、プロが人の趣味嗜好とかセンスにぶっ刺さるために書いた文章のような世界観を構築できるわけがないんですよね。
逆にそういった「センス」に訴えかけるようなWEBメディアは全然上手くいってないですからね。
でも、webメディアにも「テーマ」みたいなものはもちろんあって、MERYはその精神から頭脳までキラキラっとした女の子に向けたメディアなのでそういうアプローチは常に意識してるわけです。
だから雑誌版もそんな演出が実にうまく効いていて、一見すると読みづらいような紙面構成とビジュアルでもそのキラキラした脳みそに刺されば十分なんです。
でもそんな雑誌が雑貨になりきれるかどうかというとそれはまた話は別。
MERYは「WEBが雑誌という舞台に乗り込んでいった」という面ではこれまでにないくらい成果を上げていると思います。実際に完売が相次いだという話です。
ただ、「雑誌の雑貨化」を語る上ではまだその土俵には来ていないんじゃないかな〜と思った次第でした。